フランク・シナトラ チェンジ・パートナーズ( Change Partners )
作詞・作曲 / アーヴィング・バーリン ( Irving Berlin )
FRANCIS ALBERT SINATRA & ANTONIO CARLOS JOBIM ( reprise )
この曲を創ったアーヴィング・バーリン(1888-1989)は帝政
ロシア時代に、父親がラビを務める敬虔なユダヤ教徒の一家に
生まれました。 5才の時に家族とともにアメリカのニューヨ
ークに移住しましたが、3年後に父親が死去したため、新聞
売りや靴磨きなど様々な職を転々としました。後にチャイナ
タウンのカフェのウェイター兼専属歌手になり、そこで歌う
ための曲を自作し好評を博すようになりました。その後ボード
ヴィルの舞台に自ら上がる他、23才で作った”アレキサンダ
ーズ・ラグタイム・バンド”のヒットをきっかけに本格的に
ショーの世界に入り、ミュージカルの作詞、作曲を行いました。
第一次世界大戦になると、慰問ミュージカルショーのために
数々の作品を手がけるようになり、この頃、第二の国歌と呼ば
れるようになった”ゴッド・ブレス・アメリカ”を作詞、作曲
しました。その後の第二次世界大戦にも慰問を行い、好評を
得ました。39才の時、世界初のトーキー映画である”ジャズ・
シンガー”の音楽を手がけ、アル・ジョルスンが歌う”ブルー
スカイ”が大ヒットとなり、以降多くの映画音楽を手がけ、
47才で代表作の1つである”トップハット”が大ヒットするなど、
当時隆盛を誇っていたハリウッドを代表する映画音楽家となり
ました。第二次世界大戦後も”ホワイト・クリスマス”や”ショー
ほど素敵な商売はない”などの名曲を数々残して74才で作詞、
作曲活動から引退しました。引退後もアメリカを代表する音楽家
の一人として高い評価を受け、80才でグラミー賞の生涯功労賞
を受賞し、死後にはその栄誉を称えて記念切手が発行されました。
ここで歌っているフランク・シナトラ(1915-1998)はニュージャー
ジー州ホボーケンにシシリア移民である消防士の息子として生まれ
ましたが、20歳の時当時全盛のラジオのアマチュア・コンテスト
で優勝し、ビッグ・バンドにスカウトされてから彼の栄光の日々
が始まりました。24歳の時にトップバンドであったトミー・
ドーシー楽団に移り、その人気は決定的なものとなりました。
このレコードはリプリーズ時代の1967年、ボサノバの巨匠
アントニオ・カルロス・ジョビンをゲストとして迎え、ボサノバ
の名曲の数々を歌っております。この曲はボサノバの曲では
ありませんが、ギターの名手アル・ビオラを加えてボサノバ
風に美しくこの名曲を歌っております。
フランク・シナトラ ( シナトラ・ファミリー・サイト )
アーヴィング・バーリン ( ミュージック・カンパニー )
アントニオ・カルロス・ジョビン ( 公式ウェブサイト )
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アマゾン・ミュージック フランク・シナトラ
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