オーティス・レディング ザ・ドック・オブ・ザ・ベイ( The Dock Of The Bay )
作詞・作曲/オーティス・レディング、スティーブ・クロッパー
OTIS REDDING THE DOCK OF THE BAY ( ATLANTIC )
この曲をスティーブ・クロッパーと共に作って歌って
いるオーティス・レディング(1941-1967)はジョージア
州のドウソンで生まれ、5才の時、同州のメーコンに
家族とともに移りました。10代の時、そこの教会で
コーラスとして歌っていた彼は、地元の日曜夜のタレント・
ショウ・コンテストで15週連続で優勝しました。19才
の時に左利きのブルース・ギタリストとして知られていた
ジョニー・ジェンキンスとともに南部のコンサート・
ツアーを始め、同じ年に同じグループで初のレコーディング
を行いました。21才で彼が作ったバラードの曲 "These
Arms of Mine(俺の腕)"が小さなヒット曲となりました。
その後もツアー演奏を行いながら多くのレコーディング
を行いました。その間彼自身も多くの曲を作り、中には
スティーブ・クロッパーや他のミュージシャンとの共作
も含まれています。その後モンタレー・ポップ・フェティ
バルで歌い、広く白人のポップ・シーンに名を知られる
ようになりました。1967年12月10日オーティス・
レディング26才、彼と彼のバックバンド”ザ・バー・
ケイズ”のメンバー6名中の4名、総員7名を乗せた小型
飛行機はウィスコンシン州、レイク・モノナで墜落しました。
生存者はバンドメンバーのベン・コーリーただ一人でした。
その他メンバーの一人ジェームス・アレキサンダーは他の
飛行機に乗ったため無事でした。この曲ザ・ドック・オブ・
ザ・ベイはその墜落事故のたった3日前にレコーディング
されたもので、その翌月に発売が予定されていた曲です。
オーティス・レディングの遺体は彼の故郷ジョージア州の
メーコンの近くに埋葬されました。彼の死後に発売された
この曲は、大ヒット曲となり、皮肉にも彼の代表作となり、
オーティス・レディングの名を永遠に残すこととなりました。
余談になりますが、僕は直木賞を受賞(鉄道屋"ぽっぽや")
した作家の浅田次郎が大好きで、氏の小説”霞町物語”の中で
主人公の都会の不良少年と、金持ちのお嬢さんの淡い出会いを
描いておりますが、その少年が霞町(現在の西麻布)のプール・
バーのジューク・ボックスでこのオーティス・レディングの
シッティン・オン・ザ・ドック・オブ・ザ・ベイを聴くシーン
が強烈な印象となっております。皆さんもどうぞ浅田次郎氏の
小説の数々を読んでください。とっても面白いですよ。
オーティス・レディング( 公式サイト )
サンフランシスコ湾岸風景( ライブカメラ )
浅田次郎( Wikipedia )
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