ディーン・マーチン 誰かが誰かを愛してる( Everybody Loves Somebody )

作詩・作曲 / アービング・テイラー、ケン・レーン

Dean Martin Everybody Loves Somebody ( PRISM )




この曲を書いたアービング・テイラー(1914-1983)はロスアンジェルス
出身で青年時には第二次世界大戦で海軍に従軍し、後に作曲家、ソング
ライター、映画の脚本家となりました。ケン・レーン(1912-1996)は
ニューヨーク出身のピアニスト、作曲家で映画界で作曲の仕事をしており
ましたが、1960,1970年代にわたりディーン・マーチン・ショウ
のピアノをつとめました。この曲は1964年に二人により作られ何人かが
レコーディングをしましたが、ディーン・マーチンにより大ヒットとなり
トップテンのNo1に輝きディーン・マーチンの代表曲となり、彼のテレビ
ショーのタイトル曲にも使われました。ディーン・マーチン(1917-1995)
はオハイオ州出身で、イタリア生まれの理髪店を営んでいた両親の間に、
生まれ育ちました。そのため5才まではイタリア語しか話せませんでした。
10代の始めに学校を逃げ出し製鉄所の労働者から密売人の仕事まで
行いました。15才でプロのボクサーになり、選手権試合で鼻を骨折し、
唇には生涯傷が残り、拳の指も何本か骨折しました。試合のほとんどには
勝ちましたが、ファイトマネーは貧弱なものでした。最後にはボクシングを
あきらめ、今度はもぐりカジノのディーラーになりました。その頃から
地元のバンドで歌を歌うようになり、20才代の始めにはビッグバンドで
歌うようになり、名前もディノ・ポール・クロセッティから芸名のディーン
・マーチンに変えました。24才で結婚し4人の子供をもうけましたが、
32才の時に離婚しました。有名劇場に出演するようになった彼は離婚した
元の家族に仕送りをし、ボクシングで骨折した自分の鼻の手術費を捻出
しましたが、金には不自由しなくなりました。27才から2年間陸軍に
召集され除隊後はクラブ歌手を続けていましたが、ニューヨークのクラブで
喜劇役者のジェリー・ルイスと知り合い二人でコンビを組むようになりました。
二人のショウは評判となり遂に32才の時パラマウント映画で二人の最初の
コメディ映画が撮影されました。こうして二人はハリウッドの大スターと
なり100万ドルスターの仲間入りを果たしました。ハリウッドでは二人の
コンビ映画の他にも西部劇”リオ・ブラボー”等に出演し劇中で歌も歌い
押しも押されもせぬ大スターとなりました。48才の時にはNBCテレビで
毎週ディーン・マーチン・ショウを行い舞台ではラスベガスのカジノホテル
でのワンマンショーをつとめ、同じイタリア系の親友のフランク・シナトラ
とも映画で共演するなどして、シナトラ一家とも呼ばれました。晩年の
74才でアルツハイマー病となり、闘病生活を送りましたが78才の
クリスマスの朝、生涯を閉じました。その10年後、ラスベガス大通りの
一つが”ディーン・マーチン・ドライブ”と名付けられました。


ディーン・マーチン ( 公式ファンクラブ )

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