森繁 久彌 銀座の雀(A Sparrow Of The Ginza)
作詞/野上彰
作曲/仁木他喜雄
森繁 久彌 ( Columbia )
銀座の雀
たとえどんな人間だって
心の故郷があるのさ
俺にはそれがこの街なのさ
春になったら細い柳の葉が出る
夏には雀がその枝で鳴く
雀だって唄うのさ
悲しい都会のチリの中で
調子っぱずれの唄だけど
雀の唄はおいらの唄さ
銀座の夜銀座の朝
真夜中だって知っている
隅から隅まで知っている
おいらは銀座の雀なのさ
夏になったら鳴きながら
忘れものでもしたように
銀座八丁とびまわる
それでおいらはたのしいのさ
すてばちになるにゃ
余りにもあかるすぎる
この街の夜この街の朝にも
赤いネオンの灯さえ
明日の望みにまたたくのさ
昨日別れて今日は今日なのさ
惚れて好かれてさようなら
後には何も残らない
春から夏夏から秋
木枯だって知っている
みぞれの辛さも知っている
おいらは銀座の雀なのさ
赤いネオンによい乍ら
明日の望みは風まかせ
今日の生命に生きるのさ
それでおいらはうれしいのさ
この曲の詩を書いた野上彰(1909-1967)は徳島県
徳島市出身で、旧制第七高等学校から東京帝大文学部
に進み、京都帝大法学部に転入し、1933年中退
して囲碁誌の編集長を経て、詩、小説、童話、戯曲、
訳詞などの創作活動に入り、戦後、芸術前衛運動を
推進しました。放送劇の主題歌作詞や台本、オペレッタ
の演出など、多彩なジャンルで力量を発揮しました。
この曲は昭和25年にラジオ番組”愉快な仲間”で
スタッフの一員だった野上彰がバーの壁に落書きした
詩に音楽担当の仁木他喜雄が曲を付けて”酔っぱらい
の町”という曲名で歌手の藤山一郎が歌い、その後
昭和30年に映画の主題歌として”銀座の雀”という
曲名で森繁久彌が歌い、大ヒット曲となりました。
この曲を歌っている森繁久彌(1913年生まれ)は
旧大阪府枚方蔵の谷で実業家となった菅沼達吉と、
海産物問屋の娘であった母との間に3人兄弟の
末っ子として生まれ、2才の時父の死にともない
森繁姓となりました。早稲田第一高等学院を経て、
早稲田大学商学部へ進学し、演劇部で活躍し、当時、
東京女子大学の学生であった萬壽子夫人と知り合い
ました。大学中退後、東京宝塚新劇団へ入団し、
その後舞台俳優、NHKアナウンサー等を経て、俳優
活動に入りました。NHKアナウンサー時代には
満州電信電話株式會社の放送局に勤務し、満洲映画
協会の映画のナレーションなどを手がけ、終戦後は
ラジオ、ミュージカルを含む舞台、映画、テレビで
日本を代表する俳優として活躍しました。知床旅情
を作詩、作曲、歌いシンガーソングライターとしても
有名になりました。ミュージカル”屋根の上のヴァイ
オリン弾き”では主演をつとめ、公演回数900回を
数え、1991年には文化勲章を受章しております。
(早稲田ウィークリー・俳優森繁久彌さん)
銀座四丁目(ライブカメラ)
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アマゾン・ミュージック 森繁久彌
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