アストラッド・ジルベルト / イパネマの娘
( The Girl From Ipanema )
作詞 / ヴィニシウス・ヂ・モライス ( Vinicius DeMoraes )
作曲 / アントニオ・カルロス・ジョビン ( Antonio Calos Jobim )
英詩 / ノーマン・ギンベル ( Norman Gimbel )
ASTRUD GILBERTO ( Verve )
この曲の原詩(ポルトガル語)を作ったヴィニシウス・ヂ・モライス
(1913-1980)はブラジル・リオ・デ・ジャネイロ生まれの詩人、作家、
作詞家、作曲家、翻訳家、外交官、歌手、ジャーナリストで1950年代
後半、アントニオ・カルロス・ジョビンらとともにボサノバ(新しい傾向)
のスタイルを生み出した立役者の一人です。外交官としてはブラジルの
国連大使を務めるほどのキャリアがあったが、1964年にアルコール中毒
理由にブラジル外務省から首にされましたが、その後は晩年まで音楽分野の
活動を続けました。この曲を作曲したアントニオ・カルロス・ジョビン
(1927-1994)はブラジルの作曲家・編曲家・ミュージシャンでやはりリオ・
デ・ジャネイロの生まれで、14才の頃からピアノを始め、また作曲を学び
はじめ、ラジオやナイトクラブでのピアノ奏者として働いていたが、地元の
レコード会社に入社し曲の譜面起こしや編曲などの仕事をこなし、1953年
にはブラジルのオデオン・レコードのアーティスト兼レコーディング・
ディレクターとして採用されました。1956年には上記のモライスが
制作した舞台オルフェウ・ダ・コンセイサォン(映画”黒いオルフェ”の原作)
のために音楽を作曲し、この後は共に曲作りを行うようになりました。
この曲”イパネマ(リオ・デ・ジャネイロにある海岸)の娘”は実話に基き
二人が作詞、作曲し1962年に発表された曲で世界的な大ヒットとなりました。
ここで歌っているアストラッド・ジルベルト(1940年生まれ)はやはり
ブラジルでは有名な歌手、ミュージッシャンであるジョアン・ジルベルトの
妻で二人は1959年に結婚し、1963年にはアメリカに移住し、アルバム
”ゲッツ/ジルベルト”でスタン・ゲッツ、アントニオ・カルロス・ジョビン
と共演しました。しかし二人は1960年代の半ばに離婚しました。その後
彼女はこの曲のヒットによりアメリカで人気歌手となり、ボサノバの女王
と呼ばれて世界的にボサノバ歌手として有名になりました。
アストラッド・ジルベルト ( 公式ウェブサイト )
ジョアン・ジルベルト ( Wikipedia )
ヴィニシウス・ヂ・モライス ( Wikipedia )
アントニオ・カルロス・ジョビン ( 公式ウェブサイト )
スタン・ゲッツ ( Wikipedia )
リオ・デ・ジャネイロ市 ( Wikipedia )
リオ・デ・ジャネイロ ( 市内観光 )
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アマゾン・ミュージック アストラッド・ジルベルト
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