ニール・ヤング
ハーベスト・ムーン ( Harvest Moon )

作詞・作曲 ニール・ヤング

NEIL YOUNG 〜 HARVEST MOON ( Reprise )

Harvest Moon( 中秋の月 )


Come a little bit closer
もう少し近づいて
Hear what I have to say
僕が言いたいことを聞いてくれ
Just like children sleepin
ちょうど眠った子供たちのように
We could dream this night away.
僕たちも、こん夜の夢を見ることができる。

But theres a full moon risin
だけどあそこには満月が昇ってる
Lets go dancin in the light
その光の中で踊ろうよ
We know where the musics playin
僕たちは音楽がどこで鳴っているか知っているし
Lets go out and feel the night.
さあ外へ出て、夜を感じよう。

Because Im still in love with you
僕はまだ君に恋をしているんだ
I want to see you dance again
また君のダンスが見たいんだ
Because Im still in love with you
なぜなら、僕はまだ君に恋をしているんだ
On this harvest moon.
この中秋の月の中で。

When we were strangers
僕たちがよそ者だったとき
I watched you from afar
僕は遠くから君を見ていた
When we were lovers
僕たちが恋人同士だったとき
I loved you with all my heart.
心から君を愛してた。

But now its gettin late
だけど、今ではもう遅い
And the moon is climbin high
そして月は高くに昇ってしまった
I want to celebrate
僕は祝いたい
See it shinin in your eye.
君の目の中が輝いているのを。

Because Im still in love with you
僕はまだ君に恋をしているんだ
I want to see you dance again
また君のダンスが見たいんだ
Because Im still in love with you
なぜなら、僕はまだ君に恋をしているんだ
On this harvest moon.
この中秋の月の中で。

Because Im still in love with you
僕はまだ君に恋をしているんだ
I want to see you dance again
また君のダンスが見たいんだ
Because Im still in love with you
なぜなら、僕はまだ君に恋をしているんだ
On this harvest moon.
この中秋の月の中で。





この曲を作って歌っているニール・ヤング(1945年生まれ)は、
カナダのトロントで生まれ、父親はスポーツ・ライター、小説家
です。彼は6才のとき少児麻痺を患い、左半身が不自由な身となり
ました。そのため、歩くときに左足を少しひきずります。そして
12才のとき両親が離婚したため、母親とともに母親の実家である
マニトバに移り、そこから彼の音楽歴がスタートしました。中学生
のとき、後に仲間となるケン・ボブランとめぐり合い、そして始め
てのバンド、”ザ・ジェイド”を組みました。中学校時代に幾つか
の楽器のロックバンドを渡り歩き、学校を中退しました。そこで
はじめてギタリストでシンガーソングライターのステファン・
スティルスと出会いました。その後にジョニー・ミッチェルにも
出会い、名曲となった "Sugar Mountain"はじめ、何曲かのフォーク
ソングを作りました。20才のとき、ソロアーチスト、CM作曲家
としてカナダを廻りました。その翌年にはR&Bのグループ、" Mynah
Birds"のリック・ジェームスと組んでバンドのマネージメントを行い
ました。" Mynah Birds"の解散後はベース奏者のブルース・パルマー
と隣国のロス・アンジェルスに移りました。そこで上記のステファン・
スティルス、アメリカのシンガーソングライター、リッチー・フュー
レイ、ディウェイ・マーチンとともに、フォークロック・グループの
バッファロー・スプリングフィールドを結成しました。そして同名の
レコードと、ステファン・スティルスが作った"For What It's Worth"
がヒット曲となり、そこではニール・ヤングのエレキギターも聴かれ
ます。このバンドも解散となりましたが、後のニール・ヤングに大きな
影響を与えました。そして今度はソロとしてリプリーズ・レコードと
の契約を結びました。そして古巣の仲間ジョニー・ミッチェルの
マネージメントにより、彼自身のファーストアルバム”ニール・ヤング”
がリリースされました。彼が23才のときです。次のアルバムでヤング
はバンド”ロケット”から3人のプレーヤーを迎えいれ、”クレージー・
ホース”の名前を付けて、アルバム"Everybody Knows This Is Nowhere"
をリリースしました。この中の一曲"Cinnamon Girl"は彼の代表曲となり
ました。その次にヤングはステファン・スティルスとともに、フォーク
ロック・トリオのクロスビー・スティル・アンド・ナッシュと組んで
クロスビー・スティル・ナッシュ・アンド・ヤングとしてシカゴで
デビューし、後に映画にもなった1969年の”ウッドストック・
フェスティバル”に出演しました。そして彼らのファーストアルバム
”デ・ジャブ”をリリースしました。次に70年代の反戦歌のはしり
となる”オハイオ”を作り、シングル盤としてリリースされました。
そして3番目のソロアルバム"After the Gold Rush"もリリースしま
した。そしてその2年後にはベストセラーとなった"Harvest"をリリース
しました。70,80年代まで多くの話題となる曲をつくりつづけました
が、90年代に入ると初期のカウントリーロック・スタイルに戻り、
1982年、彼が37才のとき、このアルバム”ハーベスト・ムーン”
を制作しました。2000年代も精力的に活動をつづけ、現在はカルフ
ォルニアのウッドサイドに牧場を所有し、居を構えているそうです。
なおこの歌は先日、吉祥寺のジャズクラブ”ストリングス”にて行わ
れたボサ・ジャポニカの旗手、重久義明(Vo,Keyboad)さんと、加瀬達
(b)さんが”重久義明の世界”と題してライブを行い、その中で重久
さんがこの歌を歌ったのを聴いて知り、素晴らしい歌でしたので皆さん
に紹介したく、ここに取り上げました。


ニール・ヤング ( 公式ホームページ )

重久義明 ( 公式ホームページ )

ジャズライブスポット ”ストリングス” ( 公式サイト )

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