李香蘭( 山口淑子 ) / 何日君再来 ( Heri jin zailai )
作詞 / 晏如
作曲 / 貝林
訳詞 / 長田恒雄
李香蘭( 山口淑子 ) 蘇州夜曲 ( Columbia )
この曲の作詩、作曲者は諸説有り定かでありませんが、
このレコードに記載されている氏名を用いました。詳細
はリンクページの”何日君再来”を見てください。
ここでこの歌を歌っている山口淑子(中国名・李香蘭)
(1920年生まれ)は満州(現・中国東北)の撫順で、
南満州鉄道株式会社で中国語を教えていた日本人・山口文雄
と妻・アイの間に「山口淑子」として生まれましたた。
中国をこよなく愛していた父親の方針から、幼い頃から
中国語を学習し、後に移住した奉天(現・瀋陽)の小学校
在学中に、父親の友人である瀋陽銀行の頭取・李際春将軍
の義理の娘分(乾女兒)になり、中国名「李香蘭」
(リー・シャンラン)と命名され、奉天での幼なじみの
ロシア人少女・リューバの紹介で、イタリア人オペラ歌手
マダム・ポドレソフに付き、声楽を習いました。日本語も
中国語も堪能だったことから奉天放送局の新満州歌曲の歌手
に抜擢され、日中戦争開戦の翌1938年には満州國の
国策映画会社の満洲映畫協會より中国人映画女優「李香蘭」
(リー・シャンラン)としてデビュー。映画の主題歌も
歌って大ヒットさせ、女優として歌手として、日本、満州國
(現・中国東北)で大人気となりました。標準的な北京官話
とエキゾチックな容貌から、日本でも満州國でも当然の如く
中国人スターと思われていました。もともと李香蘭は満州と
日本での人気スターであったのだが、映画『萬世流芳』と
主題歌「賣糖歌」、そして大ヒット曲「夜來香」等により、
中国(当時の中華民國)でも人気女優・歌手となり、中国
映画『香妃』が企画され、撮影に入ろうとする寸前に終戦となり、
彼女の上海映画界での出演は結局は1本にとどまり、中国での
李香蘭の活躍は終わりました。終戦後満州國の崩壊後に漢奸
(敵国協力者)の嫌疑をかけられ、上海で中華民國の軍事裁判
に掛けられ、漢奸罪で処刑寸前だったのですが、奉天時代の親友
であったリューバの機転で北京の両親の元から戸籍謄本が届けられ、
日本国籍であるということが証明されて無罪となり国外追放に
なりました。中国から引き揚げる日、李香蘭は女性出入国管理官
より李香蘭と見破られ、再度収容所に連れ戻されてしまって
9ヶ月間の収容所での軟禁の後、日本に帰国することができました。
1946年の帰国後、翌年には本名の山口淑子に戻り、銀幕に復帰
して以後、日本映画界を中心に活躍しました。1951年には
ニューヨークで彫刻家イサム・ノグチと知り合い結婚しましたが、
1958年に離婚しました。同じ年に外交官の大鷹弘と再婚し
大鷹淑子となり、映画女優を引退し、1969年には山口淑子の
名でフジテレビのワイドショーの司会者をつとめました。
1974年に自由民主党から参議院議員に立候補し当選して
1980年、1986年と再選され、1992年まで各種の
役職を歴任しております。
何日君再来 ( Wikipedia )
瀋陽 ( Wikipedia )
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