エルビス・プレスリー
アイ・ウォント・ユー・アイ・ニード・ユー・アイ・ラブ・ユー
( I Want You, I Need You, I Love You )
作詞 / マウリス・マイセルス Maurice Mysels
作曲 / アイラ・コスロフ Ira Kosloff
ELVIS56 ( RCA )
ロックンロールの王様と呼ばれたエルビス・プレスリー(1935-1977)
は双子の兄弟としてミシシッピ州に生まれましたが、兄弟は誕生時に
死亡しています。彼が13才の時に一家はテネシー州メンフィス
に転居し公営住宅に入居しました。エルヴィスは11歳からギターを始め、
住宅の地下洗濯部屋で練習をし、そこに住むミュージシャン達と演奏
を行いました。高校卒業後に精密金型会社で働き、次に地元の会社の
トラック運転手となりました。1953年の夏にエルヴィスはサン・
スタジオで最初の両面デモ・アセテート盤を録音するため4ドル
を支払い当時のポピュラーなバラード2曲を収録しました。スタジオの
オーナーはその録音を聞きエルヴィスの才能を感じて1954年に地元の
ミュージシャン達と共にエルヴィスを売り出すことにしました。
ある日のリハーサル休憩中にエルヴィスはある歌を歌いましたが
それが良かったためオーナーは録音をしました。それはドラムスが
不在であったため、ベースをかき鳴らしての演奏となった。その収録
されたシングルのB面を地元のラジオ局が放送した二日後に、メンフィス
でのローカル・ヒットとなり、公演旅行も彼の評判をテネシー中に広げる
こととなりました。そしてサンとの契約下でエルヴィスは5枚のシングル
をリリースしましたが1955年にサンとの契約は終了しました。同年
にはRCAレコードと契約し、1956年にCBSのテレビ・ショウに
初出演し、PTAや宗教団体から激しい非難を浴びせられました。しかし、
それを見た若者たちは、エルヴィスのファンになっていきました。その年
に6枚目のシングル"Heartbreak Hotel / I Was the One"が発売され、
ビルボード誌のチャートの一位に達しました。エルヴィスが1977年に
死去するまでの21年間に、146曲が100位以内に、112曲が40位
以内に、72曲が20位以内に、40曲が10位以内にチャートインしました。
ここで歌っているアイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラブ・ユー
は1955年の "Heartbreak Hotel"につづき30万枚の予約が殺到した
プレスリー最大のヒット曲となりました。
エルビス・プレスリー ( 公式サイト )
メンフィス市内 ( ライブカメラ )
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