ピンク・フロイド ジュリアの夢( Julia Dream )

作詞・作曲/ロジャー・ウォーターズ

PINK FLOYD RELICS ( Capitol )

ジュリアの夢

わたしの枕に明るい日の光が射している
それは毛綿鴨のわた毛より軽く
彼女をしなやかな涙にさそう
風は彼の枝のまわりを巻いている

ジュリアの夢、夢の船の女王、わたしのすべての夢の女王

毎晩わたしは灯かりを消して
ビロードをまとった花嫁を待つ

鱗のあるアルマジロさん
わたしが隠れているところを捜してごらん

ジュリアの夢、夢の船の女王、わたしのすべての夢の女王

おぼろげなご主人様、わたしを目覚めさせて
わたしの脳の鍵を開けて
後に続くその足でわたしをつかまえて
わたしは本当に死にかけてるの?

ジュリアの夢、夢の船の女王、わたしのすべての夢の女王

意訳:アンクルポップ



ピンク・フロイドは1965年にイギリス、ロンドンの建築学校
リージェント・ストリート・ポリテクニックの同級生であった
ロジャー・ウォーターズ(1944生まれ、ケンブリッジ出身 )
(B・Vo)、リチャード・ライト(1945年生まれ、ロンドン出身
(Kd・Vo)、ニック・メイスン(1944年生まれ バーミンガム出身)
(Dr) の3人に、ウォーターズの旧友であるシド・バレット(1946-2006、
ケンブリッジ出身) (G・Vo) が加わり、ロンドンで結成されました。
当初はシグマ6やメガデスと名乗っており、その後はThe Pink Floyd
Soundへと改名されました。1967年、バレット作のシングル
”アーノルド・レーン”でデビューし、いきなり全英トップ20を
記録し、歌詞の内容からBBCでは放送禁止に指定されましたが、
各メディアからは絶賛されました。続いてシングルの”シー・
エミリー・プレイ”もベスト10入りするヒットを記録しました。
ファースト・アルバム発売後、バンドのリーダー的存在だった
バレットが重度の麻薬中毒に陥り、翌1968年には、彼を補う
形でデヴィッド・ギルモア(1946年生まれ、ケンブリッジ出身)
(G・Vo) が加わり、セカンド・アルバムの”神秘”をリリースし、
このアルバムのレコーディング中にバレットは正式に脱退し、
1969年には4人編成に戻りました。1970年には”原子心母”
が初の全英1位を獲得し、トップ・バンドとなりました。その後も
ヒット作を立て続けに発表し、日本へも3回の来日公演を行って
います。1973年、ロック史に残る傑作”狂気”を発表して初の
全米1位を記録しました。1996年には米ロックの殿堂入りをし、
2005年には英ロックの殿堂入りを果たしました。

ピンク・フロイド ( イギリス・サイト )

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