もしもピアノが弾けたなら
作詞 / 阿久悠
作曲 / 坂田晃一
西田敏行 もしもピアノが弾けたなら ( SMEJ )
この歌を歌っている西田敏行(1947年生まれ)は福島県
郡山市出身で明治大学入学と同時に日本演技アカデミー
夜間部に入り、同年大学を中退して夜間部から昼間部に
移り、翌年卒業してから仲間と劇団”シアター67”を結成
するが失敗し、21才で青年座俳優養成所に入り23才で
卒業し青年座の座員となり、同年の青年座公演”写楽考”
では早くも主役に抜擢されました。大学入学の翌年には
テレビドラマ”渥美清の泣いてたまるか”でテレビ俳優と
してデビューし、31才で”西遊記”、33才で”池中
玄太80キロ”などのテレビ連続ドラマで活躍しました。
そして34才の時にこの歌”もしもピアノが弾けたなら”
を歌って大ヒットとなりました。その後も多くのテレビ
ドラマに出演し、映画では41才から”釣りバカ日誌”
シリーズに出演して国民的な人気俳優として活躍しており
ます。この歌の詩を書いた阿久悠(1937年生まれ)は
兵庫県洲本市生まれで、県立洲本高等学校卒業後、明治
大学の文学部を卒業し、同大学院修士課程修了後、広告
代理店でCMの制作を手がけながら、1964年から放送
作家としても活動し、1966年に退職してフリーの放送
作家、作詞家となりました。作詞家として数々のヒットを
とばし、その作品の総売上は6000万枚を超えており
ます。現代日本歌謡史の作詞家として頂点を極めた人と
いえるでしょう。また小説家としても、”瀬戸内少年野球
団”で直木賞候補となり今は亡き夏目雅子主演で映画化も
されました。1982年には”殺人狂時代ユリエ”で第2回
横溝正史ミステリ大賞を受賞しておりますが、悲しいことに
本年8月に亡くなりました。享年70才でした。日本国政府
は、阿久悠の多年に亘る歌謡界への功績を高く評価し、死去
した2007年8月1日に遡って旭日小綬章を贈与すること
を閣議で決定し、また、第49回日本レコード大賞では特別
功労賞が贈られました。この歌を作曲した坂田晃一(1942
年生まれ)は現在尚美学園大学芸術情報学部の教授を勤める
作曲家で、ビリーバンバンの”さよならをするために”、
伝書鳩の”目覚めた時には晴れていた”、この歌”もしも
ピアノが弾けたなら”、杉田かおるの”鳥の詩”、チェリッシュ
の”あの空へ帰ろう”の他、多くのヒット曲の作曲・編曲を
手がけ、テレビドラマや映画の音楽も手がけております。
西田敏行 ( 公式HP )
阿久悠 ( オフィシャルホームページ )
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