アーク・オブ・ア・ダイバー(ARK OF A DIVER)

作詞・作曲
スティーブ・ウィンウッド ( Steve Winwood )
ビビアン・スタンシャル ( Vivian Stanshall )

Steve Winwood Arc Of A Diver ( ISLAND )





この歌をビビアン・スタンシャルと作って、歌っているスティーブ・
ウィンウッド(1948年)は、イギリス、バーミンガム州に生まれ、
中学生の時からバーミンガムのリズム・アンド・ブルース界で
ハモンド・オルガン、ギターを弾きこなし、アメリカからイギリス
公演に来たマディ・ウォーターズ、ジョン・リー・ホッカー、
ティ・ボーン・ウォーカー、ホーリン・ウォルフ、B.B.キング、
ソニー・ボーイ・ウィリアムソンU、エディ・ボイド、オーティス・
スパン、チャック・ベリー、ボー・ディットリー等ブルース・シンガー
のバック・コーラスを務めながら、地元で演奏しておりました。
そして15才の時にスペンサー・デービス・グループに兄のマフ・
ウィンウッド(後に大物プロデューサーになった)と共に加わり、
"Gimme Some Lovin'" や "I'm a Man"を共作し、レコーディングを
行いました。そしてその後にクリス・ウッド、ジム・キャパルディ、
デイブ・メイソンと”トラフィック”を結成しました。この時期には
ギターのエリック・クランプトンのクランプトンズ・パワーハウスの
レコーディングにも参加しました。60年代後半にはデイブ・メイソン
と共にジミー・ヘンドリックスの親友となりました。あるパーティに
デイブ・メイソンから招待されたジミー・ヘンドリックスはそこで
彼等の"All Along the Watchtower"を聴き、後にロンドンのスタジオで
共同でその曲のレコーディングを行いました。また1969年には
ジョー・コッカーの "With a Little Help from My Friends" に
オルガン演奏で参加し、また" Toots & The Maytals' や"Howlin'
Wolf's"のロンドンでのレコーディングにもキーボードで参加しま
した。同年エリック・クランプトン、ジンジャー・ベイカー、
リック・グレッチとともに"Blind Faith"を結成しました。この
グループはツアーの終了後にエリック・クランプトンが去り、
あとの3人は"Ginger Baker's Air Force"を結成しました。しかし
このスーパーグループも短期間で終了し、ウィンウッドは再び
旧"トラフィック"のメンバーと記念碑的なアルバム" John Bar-
leycorn Must Die"をリリースしました。1976年には"Fania
All Stars"の"Delicate and Jumpy"のレコーディングと公演で
ギター演奏を行い、翌年には初のソロアルバムをリリースしま
した。そして1980年にこの"Arc Of A Diver"のタイトル・
アルバムがリリースされ、このCDの2曲目の"While You See
A Chance" は翌年のビルボードのシングル・トップ100で7位
となりました。また1982年には"Talking Back to the Night"
が大ヒットとなりましたが、これらのレコードは彼の故郷である
イギリスのグロウスターシャイアーで録音され、バックの伴奏
楽器は全て彼一人で演奏されたものです。その後1986年に
アメリカで録音された"Back in the High Life"のアルバムの
"Higher Love"はシング盤でも発売され、ビルボードのトップ
100で1位を獲得しました。その後所属レコード会社をこの
アイランド・レコードからヴァージン・レコードに変え、"Roll
With It and Refugees Of The Heart"をリリースしてそのタイトル
トラックはシングルで1988年の1位を獲得しました。その後も
話題となるヒット・アルバムを作り続け、現在もロックシーンの
トップを走り続けております。この歌の詩を作ったビビアン・
スタンシャル(1943-1995)は、イギリス、オックスフォードシャ
イヤー郡のテムズ川河畔のシリングフォード村で生まれました。
彼が幼い時に父親は彼をスポーツ少年となるように望んでいま
したが、彼はその反対に絵画、音楽、文学好きの少年でした。
そのため、家では正しい言葉を話し、外ではわざと乱れた英語で
喋っておりました。また内緒でロックンロールスタイルの不良
少年達と付き合っておりました。その頃に家族は南部沿岸の町
エセックス州、レイ・オン・シーに移り住みました。父親の反対
にもかかわらず、絵画学校に進学した彼は1年間学校にも通わずに
ウェイターの仕事で金を貯めました。ロンドンの中央芸術学校に
転籍した彼は、その学校の仲間達であるロドニー・スレーター、
ロジャー・ラスキン・スピアー、ニール・インズとゴールド・
スミス・カレッジで音楽を勉強し、バンドを結成しました。
そして名前もビクターからビビアンに変え、バンド名を"Bonzo
Dog Doo-Dah Band"としました。バンドのメンバー構成は自由な
もので一時は30名にも及び、聴衆より多い時もありました。
演奏曲は古い英国の反政府的な古謡の78回転レコードをノミの
市で買ってきて、その歌を作り変えて一夜限りのコンサートで
演奏しました。1966年にソング・ライターのジョフ・ステ
ファンにより集められたミュージッシャンによるバンドの”ザ・
ニュー・ボードビル・バンド”の"Winchester Cathedral"が
イギリス、アメリカで大ヒットとなりましたが、その音楽スタイル
が"Bonzo"と似ているのに刺激されて、バンド・メンバーのボブ・
カーがそのサウンドで商業的な成功を収めようとメンバーを説得
しましたが、他のメンバーはこれを拒否して別のサウンド作りを
目指しました。それから彼ら独自の素材を使って書き込みを開始
しました。スタンシャルは先頭に立ってチューバを演奏し、歌い、
その作品は元の曲を冒険的な音楽と歌詞で、より大胆で、風刺的な
ものとしました。その作品はイエスキリストについての下品な
ジョークに満ちておりました。彼らのバンドはセミプロとして
大学廻りで活動しましたが、マネージャーを雇って彼等自身が
北部英国の音楽家組合に所属してからは、古いバンの車に楽器を
詰め、旅回りのコンサートで活動しました。1967年になって
ビートルズのTVショウ"Magical Mystery Tour"の中のストリップ・
クラブのシーンに出演し、民放の子供TV番組"Do Not Adjust
Your Set"およびBBCの"Monty Python"の多くにも出演しました。
翌1968年にスタンシャルと"Bonzo"は初めて"I'm the Urban
Spaceman"でトップ10入りを果たしますが、後は続きません
でした。その後2度にわたりアメリカツアーを行い成功を収め
ましたが、2度目のツアーでスタンシャルは極度の疲労により
うつ病となり、1970年に"Bonzo"での活動を停止しました。
1974年初めに、スタンシャルは初のソロアルバム"Men Opening
Umbrellas Ahead"を作詞作曲、編曲してレコーディングしました。
このアルバムには、ジャズとロックの味付けと、アフリカの
パーカッションを多用して、彼自身の内面的な表現の作詞により
構成され、このスティーブ・ウィンウッド、イネス、 バブス・
ホワイト、ジム・キャパルディ、リック・グレッチ、および
マドリン・ベルがゲストで演奏に加わりました。スタンシャルの
次の成功は"Rawlinson End"によるもので、これは1970年に
BBCラジオ第一放送の番組"John Peel show "のために多くの
録音を残したもので、題材は新聞の政治風刺漫画に基づいており
ます。これは"Sir Henry At Rawlinson End"として1978年に
LPレコード化され、続いて1980年には映画化もされて、
主役のサー・ヘンリー(実在の人物)役にはトレバー・ハワード、
その風変わりな義兄役にはスタンシャル自身もその役で出演して
おります。この映画音楽には友人であるスティーブ・ウィンウッド
も数曲を提供しました。そしてこの映画を元に同年には彼自身の手
により書籍化もされて出版されました。1983年にはこの
シリーズ2番目のアルバム"Sir Henry at Ndidi's Kraal "も
リリースされました。丁度この時期にウィンウッドのアルバム
"Arc Of A Diver"のために共同で作ったタイトル・ソングがこの
"Arc Of A Diver"です。またこの時に作った他の多くの歌は
後に彼が作ったミュージカル・コメディの"Stinkfoot"の挿入歌
となりました。1995年自宅のベッドにて友人達が心配して
いた飲酒の上の喫煙により発火し、生涯を閉じましたが、奇し
くもその年は上記のサー・ヘンリーの死後100年にあたる年と
なりました。なほこのCDは弊サイトのある閲覧者の方がアマゾン
USを通じて"Chronicles"を購入されたのを知り、僕も知った
もので、この素晴らしい歌を皆さんにも紹介したく、ここに取り
上げたものです。このCDを僕に教えてくれた方に申しあげます。
「貴殿の音楽的嗜好に僕の嗜好は完全に一致します。これらの
素晴らしいアーチスト達を僕に教えてくれて本当にありがとう
ございました。」


スティーブ・ウィンウッド ( 公式サイト )

ビビアン・スタンシャル ( 公式サイト )

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